南アフリカのワイン

昨日ラフィネの試飲会があり、南アフリカのクリスタルムとラールが来日しており彼らとワインを楽しむ機会がありました。二人のワインをじっくり飲んでみるとラフィネが社運をかけて彼らのワインを輸入している意味がよく分かったのです。

南アフリカは国営の畑が多く、そのほとんどが農薬や化学肥料を使うことを許されておらず、接ぎ木の葡萄ではなくほとんどが接ぎ木されていない自根でほったらかされている畑がかなりあるそうです。そういった畑を購入できるのはある程度資産のある人たちで若い作り手は購入できないために良い畑を見つけては契約し買い葡萄でワインを造っています。彼らは所有者と一緒に葡萄を栽培し、土地の権利がないだけでほとんど自社畑と同じような条件でワインを造っています。

地域によってかなり条件が違うのですが、クリスタルムがいるヘルマナスは冬でも1〜11度、夏でも25度前後で海からの風も強く標高も高いために非常に条件に恵まれています。病気が少ないために樹齢100年以上の畑も多い地域です。

クリスタルムの地域はほとんどシャルドネが植えられていますが、先々代からいろいろな品種を植えて土地との相性を検討し植えられたまだ樹齢4〜9年のピノ・ノワールが驚くほど素晴らしいのです。特にキュヴェ・シネマはキスラーやジョセフ・ドルーアンがアメリカで作るピノに肉薄し更にそれがブルゴーニュよりのワインに仕上がっています。この地域でのピノの可能性は今後の南アフリカワインの未来を感じさせてくれます。

当然できる限り自然のまま作られていり、アメリカワインの様に科学的な見地が入り込む部分がなく深みが更にあるのです。樹齢の若いピノなのにここまでのものを作ることが出来ることにちょっと吃驚しました。

新世界のワインを見回してみると、オーストラリアやアメリカなどは半数以上の造り手があらゆるところでワインを人工的にコントロールしながら作っています。ある意味ジュースのような感覚で人工的なワインなのです。つまり自然のままと言うよりも顧客のニーズに合わせたワイン作りが行われているのです。ですからアメリカワインを飲むたびに単純さを感じるというのも当たり前と言えば当たり前。当然自然派志向の生産者もいますが、それはかなり少ないのです。

南アフリカにも当然大量生産型の造り手もいますが、基本ほとんどが自然派であることには驚きです。まだまだ洗練されていないワインも多いのですが、今ラフィネが試行錯誤しながら輸入している南アフリカワインは今後注目すべき存在の造り手がかなりあります。多分南アフリカと言ってもこんな地域から陸送から船便まで定温で運んでいるインポーターはラフィネしかありません。

私は今回彼らのワインを飲んで一つ分かってきたことがあります。

ブルゴーニュも若手の生産者は早熟でジューシーな部分があり、以前のような頑強なワインは造っていません。アメリカから移住してきた生産者の造るワインはブルゴーニュよりもアメリカチックではありますが、そこにはちゃんとブルゴーニュならではの奥ゆかさが感じ取れます。ごくごく自然にテクニカルではなく作られたブルゴーニュのワインと新世界とのワインの違いはどこにあるのでしょう。

チリでもリミタダの造るワインは注目ですが、これも含めた最先端の自然派系ワインの国地域による差。これがどうして出てくるのか。

人間と同じで過酷な環境で苦労した人間には独特の奥深さがあります。当然過酷過ぎて途中で世を去ってしまったり壊れてしまう人もいます。

葡萄も同じで過酷な環境を克服してきたものは、素晴らしい奥深さを出し途中で負けたものは樹齢を終えたりしてしまう。

自然の環境で作られた葡萄は、自己防衛本能で病気を克服しますが、人工的な肥料や農薬の手を借りた葡萄は自己防衛本能が少なくなり病気に冒されやすくなります。

こういった見方をすると、自然派のワインといえども育った環境によって違いがあるのもよく分かってきます。こういった見方をするとフランスは農作物を作るには理想的な過酷な環境と言えるのではないでしょうか。

チリなどはフィロキセラに犯されていない葡萄がほとんどで樹齢の300年を超える葡萄があるほどある意味葡萄を育てるには理想的な環境。でもある意味優等生的です。とにかく綺麗なスタイル。(リミタダの話ですが)

南アフリカはチリとブルゴーニュの間に位置するような環境。綺麗なだけではなくそこに奥深さも宿っています。

こういった見地で見ていくと新世界で今最も注目すべき存在が南アフリカであることが分かってきます。まだまだ味わい的に追いついていない生産者もいますが、今回のラールとクリスタルムはまだ30前後という若い生産者の手によるものですがレベルの高さは圧倒的です。

皆さんはチリや南アフリカのワインは濃くて安いことに価値があると思っている方が多いのではないでしょうか。それは全くの勘違い。今後まさに注目の地域なのです。

ワインの酸化と熟成の話

ワインが何故、インポーターによって購入する酒屋さんによって品質の差がまばらなのか、一体コンディションの良いワインとは何なのかそのお話をここでまとめて考えてみてみたいと思います。

ワインは醸造が終わり瓶詰めされると造り手のセラーで寝かされてから出荷されます。セラーの温度や湿度は造り手によって違い地下で低温で保管される場合もあれば地上のセラーで保管される場合もあれば電気的な温度コントロールされたセラーで保管される場合もあります。夏場と冬場の温度差もあります。ただ一日の温度変化はほとんど変化がないと考えて良いでしょう。

このように造り手の所から出荷されるまでの状況こそが作り手のワインと捕らえることから始めたいと思います。

このようにセラーの管理状況の違うワインをどのように扱うかでワインの姿は大きく変化したり極力同じような姿でとどまったりするわけです。

さてこの先の話をする前に大事なことがあります。1990年を境に大きく2つに分けることが出来ます。おおざっぱな分け方ではありますが、1990年代以降ワインは様変わりします。醸造技術や栽培方法の確立などの変化、そして農薬や化学肥料に対する疑問視、それによる自然派志向、そしてロバート・パーカーなどのワイン評論家による指向の変化、ワインブームによる早熟系のワインの需要などによってワインはすぐ飲めることこそ需要に繫がる流れに変わっていきます。そして顧客の嗜好に合わせたワインを造る人工的な領域が関わったワイン作りも始まります。

1990年以前はまだまだ古典的で先代から受け継いだ造り方をそのままに作る生産者が多く、需要もそれほど多くなかったために長熟なワインが多かったのです。需要がそれほど無いことがワインを腐らせないために長熟のワインにしていたとも言えるかもしれません。まだまだ熟成という時間が生み出す妙味を味わえた時代とも言えます。

ですからこの当時のワインは世界一周させると美味しくなると言われていましたし、熱劣化がワインを美味しくさせるひとつの手段と見られていた部分もあります。

この当時はワインの需要がそれほど多くなかったこともありますが、ワインを扱う人々はそれなりに精通した人たちが多く経験値も高いためにそれなりに酷いワインは少なかったとも言えます。しかし当然この当時でも駄目なワインは沢山ありました。

私がワインを楽しみ始めた時期はちょうど1990年前後だったのです。

この当時から酷いワインと大丈夫なワインを見分けるのはインポーターでした。造り手の蔵にあるワインと遜色ないワインはこの当時はほとんど無くごく一部その先進的な指向を持っていたのは現在のヴィナリウス、当時はエノテカワインセレクションという会社の北岡さんだけでした。その次に位置していたのが八田商店にいた現ラシーヌの合田さん、現在のフィネスの藤田さん、現在ではもう存在しない三共化学だけです。

その当時は私もコンディションが良いだけのワインには興味が無く、熟成した適度に熱の入った官能的なワインにしか興味が無くそのようなワインばかりを扱っていました。くらくらするような今まで経験したことがないようなワインが沢山あり、まだまだロバート・パーカーの初版版が出たばかりで酒屋が自分の倉庫だと思っていた時期です。

次第にワインの需要が高くなると共に熟成したワインは少なくなり、まず生産者の蔵にある出荷できる熟成したワインは枯渇してきます。ワインを多く抱えるレストランの古酒、コレクターの持っている古酒なども枯渇し、その過程で参入してきた新進の業者などによってワインの扱いは杜撰になり急激にコンディションの低下が起こってきます。

ちょうどその時期が2000年頃です。現在でも一般顧客の持つ古酒などが市場に出回ることがありますが、残念ながら当時のワインとは雲泥の差があり私はそれらのワインを扱う気にはなれません。

さてルロワが1998年にビオ・ディナミを始めたことが次第にフランスの若手に影響を与え2000年代になると自然派志向が一気に高まってきます。農薬による土壌汚染も問題になり、徐々に国を挙げての体制に移ってきます。

市場でのワインの需要の高まりは同時に早熟なワインを求めるようになります。ワイン評論家も早熟なワインを評価する傾向になり、長熟なワインは評価されない状況が出てくるのです。これに自然派志向が合流しワインはより早熟な傾向へと変化し始めます。

2010年代になると酸化防止剤も問題視されるようになり、極力減らしたり一部では酸化防止剤を使用しないワインも出てきています。

このような状況が現在のワインなのです。

私が以前フランスに行ったときにジャン・ルイ・シャーヴが語っていたことが実に印象的でした。彼は私に「私は自己満足でワインを造っている」と言ったのです。

この意味とは、、それがこれから話す大事な部分です。

昔のワインは長熟なために熱劣化に対しては寛容でした。熱劣化こそがワインを早く飲める一つの手段であると言うことが当たり前だったのです。

ところが近年のワインは早熟であるために熱劣化は逆に品質低下に繫がるのです。熱劣化すると昔のワインの様に開くどころかその多くの魅力を失ってしまうのです。ジャン・ルイ・シャーヴもそのことをよく分かっていたのです。でも顧客であるレストランやインポーターにはそのことは語れません。市場で飲まれている自分の造ったワインがどのような状況になっているのかを彼はよく知っていたのです。彼は今レストランのために熟成庫を用意しています。

一般的に作り手達は、ワインを売ることが大変なために顧客に対して文句を言う造り手はほとんどいません。それが現状なのです。

ではワインを扱う側はどうでしょう。ワインを扱っている側でこのことに気がつきそれに対応している人たちはかなり少ないのです。ましてワイン業界ともなると皆無に近い状況があるのです。未だにワインは強いから大丈夫と思っているインポーター、酒屋さんが多いのも現実なのです。

ワインはコミュニケーションの手段として使われることも多く単にワインラヴァーだけのものではありません。ブランド化されたドン・ペリニョンの様なシャンパンもあれば、誰もが知っている五大シャトーなどもあります。食事と共に供されることが多いために、それほど問題視されないのがワインの世界なのです。

現在ではコストさえかければかなり良好な状況でワインを輸入管理することが出来ます。しかしこれらの管理に関しての造詣の深い人はほとんどいないのが現状なのです。

そしてコンディションの良いワインはまだまだ少ないためにほとんどの人はコンディションが良いワインを飲んだことがないのです。

そして最も問題なのが勘違いした知識が蔓延していることです。特にワインの世界はワインを販売する側との密接なつながりがあるワイン関係者が多いことも問題なのです。ですからこのようなことには言及できないワイン関係者が多いために、業界側の発言が多くなるのが現実なのです。

ですからいわゆるタブーとされているのがこういったお話なのです。